「1億円の壁」は是正すべきなのか?所得の性質を無視した議論の是非

所得1憶円を超えると税負担率が軽くなる現象を「1憶円の壁」と呼び、是正のために金融所得に増税すべきだとする論調があります。所得の性質を無視した議論で危うさを孕んでいるため、周辺論点を解説いたします。

目次

「1憶円の壁」とは?

課税には応能負担の原則がある

担税力に応じて税を負担すべきとする応能負担の原則に基づき、所得が大きくなるほど税負担をすべきとされます。応能負担の原則については、下記の記事をご参照ください。

所得1憶円を超えると税負担率が減少するのが「1憶円の壁」

内閣府の第19回税制調査会で下記のようなグラフが示され、応能負担の原則に反して所得1憶円を境に税負担率が減少していくと主張されています。

第19回税制調査会資料 P38より

「1憶円の壁」が発生する理由

所得税は、所得の種類毎に税率が異なります。例えば、給与所得は累進課税で最高税率が45%であるのに対し、株式譲渡所得は通常分離課税20%(所得税率15%+住民税率5%)となり、適用される税率が低くなっております。

上記税制調査会の資料では、「高所得者層ほど所得に占める株式等の譲渡所得の割合が高いことや、金融所得の多くは分離課税の対象になっていること等により、高所得者層で所得税の税負担率は低下。」と説明されており、株式譲渡所得に分離課税20%が適用されることが過度な優遇になっているかのような指摘がなされています。

このような指摘の妥当性を考えるためには、何故所得税法が所得の種類毎に適用される税率を変えているのかを理解する必要があります。なお、法人税率は租税特別措置法による軽減税率がありますが、基本的に所得の多寡に関わらず税率は一定です。

何故所得税法は所得の種類により税率を変えているのか?

所得税は所得の種類により税率が異なる

上図のように所得税法は所得を分類し、所得の種類毎に異なる課税をしています。上図には詳細な計算方法までは記載されておりませんが、特に優遇されているのは退職所得や譲渡所得の内分離課税とされているものです。

例えば、退職所得は長期に及ぶ勤務の結果支給されるもので、退職後の生活を支える性質があることから税負担が軽減されていると説明されます。反復的な事業活動のみを行う法人と比較すると、個人に発生する所得は様々で、所得の種類毎に担税力が異なることが分かります。

株式の譲渡所得はなぜ税負担が軽いのか?

株式の譲渡所得は長期に渡る時価変動の蓄積が一時に実現したものである

株式の譲渡所得が何故優遇されているのかを考えてみます。株式の譲渡所得の税率は、所得税率15%+住民税率5%に復興特別所得税を加えて20.315%が原則です。

株式の譲渡所得の優遇は、投資の促進等の観点から説明されることがあり、経済対策としての側面も否定できませんが、あまり本質的な説明ではありません。

株式の譲渡所得の源泉となる株式の時価は常時変動しており、所得の発生原因となる経済的事実は経常的に発生しているにも関わらず、売却するまでは現金収入が発生しないため、担税力への配慮から売却時に初めて所得に算入すればよいとされています。

つまり、本来的には毎年時価の変動を所得に算入すべき性質が極めて強い種類の所得なのです。現に、法人税法上は株式を売買目的有価証券に区分した場合、毎年時価の変動額が有価証券評価損益を構成し課税所得に算入されます。担税力への配慮から、売却まで申告所得への算入が免除されているに過ぎない趣旨なのに、単年での所得が大きいからといって高い税率が適用されては理論的とは言えません。

また、このように長年の蓄積が一時に実現する性質の所得は、毎年安定的に発生する所得と比較すると担税力に劣ることは言うまでもありません。安定的に発生することが多い配当所得は総合課税(※一部分離課税可)であるのに、株式の譲渡所得が分離課税であることから分かるように、このような発生の態様により担税力が異なると所得税法が考えていることは明白です。

そもそも株式の譲渡所得への課税は二重課税である

株式の譲渡所得は、投資対象である法人において既に法人税等が課税された後の利益を、株主に還元することで生じる所得という側面において、配当所得と類似の性質を持ちます。

この既に課税済みの財産を株主に還元する際に課税すると、二重課税になり妥当ではないというのは世界的に共通した考え方です。グループ通算制度では投資簿価修正により一定の対応がなされておりますが、多くは二重課税がなされる状況となっています。株式譲渡に係る二重課税の問題については下記の記事をご参照ください。

「1億円の壁」は問題ではない

以上より、「1憶円の壁」に関する議論は所得の性質を無視していて妥当とは言えません。単純化して所得が大きいのに税負担が軽いと言われるとまっとうな主張のように思えてしまいますが、関連する制度の趣旨を鑑みて検討することが重要です。

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AIknot日本橋会計事務所/AIknotコンサルティング合同会社

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監修者

PwCあらた有限責任監査法人の金融部門に所属。保険会社を中心とした会計監査、内部統制監査、各種コンサルティング業務に従事。AI化推進室に兼任で所属し、公認会計士業務の自動化を担当。

セコム損害保険株式会社、THホールディングス株式会社における、保険数理、金融派生商品の評価、予実統制、税務、M&A、企業再生、IPO支援の経験を経て、PEファンドJ-star傘下、株式会社Free Spark、株式会社CyberKnot、Mattrz株式会社のCFOを歴任。

2020年、AIknot日本橋会計事務所を設立し代表に就任。
2023年、AIknotコンサルティング合同会社を設立し代表社員に就任。

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